渋沢栄一(しぶさわ えいいち)
1840年3月16日~1931年11月11日(享年92歳)
出身 埼玉県深谷市
著書 論語と算盤
令和6年(2024年)より新紙幣一万円の顔になる人です。
多くの人に慕われ、情愛の人であったと言われています。
でも、福沢諭吉さんよりは知名度が低く「えーっと・・誰でしたっけ?」って思った人も多いですねぇ。
生涯
豪農の長男として生まれ、幼少期から剣術に優れ、頭脳も明晰でした。
実は、江戸時代の終わりに生まれた彼は、倒幕を目指す維新志士だったのです。
が、その後知人のススメで一橋慶喜(後の徳川慶喜)に仕え幕臣になってしまいました。
この180度の急展開!すでに普通の人とは違う道を歩み始めてますね。
徳川慶喜の元では、パリ万博(1867年)に派遣され、そこで先進的な産業や制度を知りました。
そして、大政奉還の影響で帰国した渋沢栄一は、日本で初めての「株式会社」を作るのです。
この活躍を見た大隈重信に説得され大蔵省に入ります。
しかし、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立しあっさり辞めてしまいます。
その後は実業界に身を置き、多種多様な会社の設立に関わり、その数は600以上といわれています。
ほんの一部だけ紹介すると、
- 第一国立銀行(現みずほ銀行)
- 東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)
- 王子製紙(現・王子製紙、日本製紙)
- 帝国ホテル
- 東京証券取引所
- 麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)
- サッポロビール(現・サッポロホールディングス)
- 東洋紡績(現・東洋紡)
社会活動にも積極的で、
- 日本赤十字社
- 一橋大学
- 東京経済大学
- 二松學舍大学
- 同志社大学
- 日本女子大学校・東京女学館
の設立運営にも関わっています。
もう凄すぎて言葉にならないですね!
小ネタ
さて、こんなに経済界に影響を与えたすごい人物がなぜ今までお札の顔になっていなかったのか。みなさんは不思議に思いませんか?
理由は単純で、
ヒゲがなく顔が偽造しやすかった
からだそうです。
令和の時代になって、やっと渋沢さんの顔に技術が追いついたわけですね。
大蔵省時代の渋沢栄一
出典:wikipedia
渋沢さんの人柄に惹かれる人は多く、葬儀の参列者は延々と連なり、最後尾が見つからないくらい多くの方が別れを惜しんだそうです。