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明智光秀(あけち みつひで)

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1528年(諸説あり)~1582年6月13日(享年54歳??)

出身 岐阜県可児市(諸説あり)

紹介作品 2020年大河ドラマ『麒麟がくる』

 

2020年NHK大河ドラマの主人公ですね。

みなさんのイメージはどうでしょう。

「本能寺の変で信長を討った謀反人」「三日天下の人」「悪人」ってとこでしょうか。

いえいえ、明智光秀は知略に優れ、同僚や民に慕われた優しき武将だったのですよ。

 

生涯

明智光秀の青年期は不明な部分が多く、歴史に出てくるのは将軍・足利義昭に仕え幕臣となった39歳頃ですね。

 

その後、足利家の家臣として織田信長に出会い、その才能を認められ織田信長の直臣となります。

ヘッドハンティングされたわけです。

 

信長のもとでもその才能は発揮され、税制対策や治水工事、連歌会なども開き、善政だけでなく教養も豊かだったと言われています。

 

しかし、革新的な織田信長を近くで見すぎていたばかりに

「このままでは古き良き日本が破壊されてしまう」

と、本能寺の変を起こし信長を討ちます。

 

ところが、信長の死体は焼失し、死亡を信用されず、味方してくれるものは居ませんでした。

確かに「信長が生きていたら・・・」と思うと迂闊に光秀側には付けませんね。

 

そして、中国からの大返しで戻ってきた羽柴秀吉に破れ(山崎の戦い)、逃亡の山中で土民に襲撃され命を落とします。

三日天下と言われていますが、実際には11日程度のようです。

 

小ネタ

明智光秀を慕う人物の一人に徳川家康がいます。

実は、明智光秀は死んでおらず海」という高名な層として、徳川家康に仕えていたという噂があります。

家康のもとでは、秀吉本人や信長の子孫を恨み邪魔をし続けたそうです。

ちょっと怖いですね。ただの噂ですけど、ね。