レオナルド・ダ・ヴィンチ
1452年4月15日~1519年5月2日(享年67歳)
出身 フィレンツェ共和国(現在のイタリア北部)
代表作品 『モナ・リザ』『最後の晩餐』
芸術家として有名ですが、実は「万能の天才」と呼ばれ、技師(軍事・土木・治水)、数学、生物学、解剖学、天文学、地質学などあらゆる知識を網羅していました。
ついでに、美男子であったとも言われています。
メモ魔でもあった彼のメモは、すべて左右が逆で暗号かと思うほどです。
これは、左利きであったことやまともな教育を受けてないなどの理由もあったようです。
生涯
15世紀、ルネサンスの時代にヴィンチ村で生まれました。
レオナルド・ダ・ヴィンチというのは、ヴィンチ村のレオナルドと言う意味です。
最近では、ダ・ヴィンチと略すのはやめて、レオナルドと呼びましょうという流れがありますね。
14歳で、フィレンツェでは最大級のヴェロッキオの工房に弟子入りしました。
この頃に才能が目覚め始め、あっさりと親方資格を得て独立してしまったのです。
30歳の頃、ミラノに渡り宮廷画家兼技術者になりました。
この頃の代表作が、修道院の壁に書いたあの有名な『最後の晩餐』ですね。
壁画ですので劣化がはやく、何度も修正されていったことから、現存しているものは少し色が薄かったりぼやけてたりするんですね。
成熟期に入ったレオナルドは、お金持ちの貴族から絵を頼まれますが、裕福にはなりませんでした。
彼には一つ問題があったのです。
それは「完璧主義者」であったことです。
「こんな骨格はおかしい」「この色は科学的におかしい」と、何度も何度も書き直し、なかなか絵を完成させませんでした。
生涯の絵が13点しかないのもこのような理由だったのですね。
48歳になりフィレンツェに戻り軍事技師や国家顧問、建築、舞台監督などもしていました。
この頃から、もう絵はあんまり書いてないんですね。
そして、67歳でフランスの王様に招かれ屋敷を与えられました。
そこで惜しまれながら生涯を閉じました。
小ネタ
20歳の時、師匠のヴェロッキオと『キリストの洗礼』という絵を共同で作り始めましたが、あまりのレオナルドの上手さにヴェロッキオは「もう一緒に書いてられるかー!」って筆を折って、二度と絵を書かなくなったそうです。
13作品の中から特に有名な作品を紹介します。
- 『受胎告知』
- 『岩窟の聖母』
- 『最後の晩餐』
- 『モナ・リザ』
- 『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
- 『洗礼者ヨハネ』