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徳川綱吉(とくがわ つなよし)

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 1646年2月23日~1709年2月19日(享年64歳)

 江戸幕府の第5代将軍

 

「生類憐れみの令」で有名な犬将軍・綱吉です。

マイナスイメージの強い人物ですが、近年の研究で、歴代の将軍の中でもトップクラスに優秀だったのでは?という説が支配的であります。

 

生涯

3代将軍・家光の4男として江戸城で生まれます。

家光が亡くなると、兄の家綱が後を継ぎ、4代将軍になりますが40歳で死去します。

家綱には子が無く、他の兄たちも生存していなかったため、綱吉が5代将軍に任ぜられます。

 

将軍になると、さっそく4代将軍である兄の時代に下落していた権威を取り戻しにかかります。

 

まずは能力の高い人物を大老に任命し、諸藩の政治を監査させます。

そして、勘定吟味役を設置し、身分が低くても有能であれば登用していくように変えました。

また、いまだに残る戦国時代の殺伐とした気風を排除し、徳を重んじる文治政治を推進します。

学問の中心として湯島聖堂を建立するなどし、学問を大切にしました。

これは、父である家光が儒学を叩き込んでいたおかげだったと言われています。

これにより、新井白石など優秀な学者を排出するきっかけにもなりました。

このように、ここまでの綱吉は非常に優秀で、善政として天和の治(てんなのち)と称えられています。

 

しかしここから先の政治が、後の世で有名になってしまいます。

 

「生類憐れみの令」ですが、実は一つの政策ではありません。

最初は極々小さな条例程度でした。

子供が生まれない綱吉が、戌(いぬ)年のこともあって、将軍が通行する道であっても犬は自由に放してて良い。というものでした。

 

条例がゆるすぎて誰も守らなかったんですね。

そして、そこから徐々にエスカレートしていき、24年間で135回も改正され、最後には貝や虫でさえ殺してはいけないという異常事態にたどり着きます。

 

64歳で綱吉が死去した後は、すぐに「生類憐れみの令」は無かったことにされます。

しかし、一部の捨て子や病人の保護などは継続されました。

すべてが「悪」という訳でもなかったみたいですね。

 

小ネタ

七五三はもともと貴族のなかでの慣例行事でした。

しかし庶民に慕われていた(就任当初はですが・・・)綱吉が、長男の健やかな成長を願って行ったことで一般庶民にも広まり、今に至っていると言われています。