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達磨大師(だるまたいし)

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5世紀後半~6世紀前半(享年150歳くらい)

出身 南天竺国

 

選挙で当選したら目玉を書く、だるまさんがころんだ等で知られるあのだるまさんです。

実在した人物なんですね。

仏教の教えから、というものを見出し、中国禅宗の祖と呼ばれています。

 

生涯

インド王族の3男として生まれました。

 3歳の頃に2人の兄たちと宝玉について会話をし、達磨のみが宝玉より正しい教えこそが至高の宝だと答え、これに感動した僧侶は出家をススメました。

やがて王が亡くなると、達磨は「死ぬとどうなるのか」7日間瞑想しましたが答えは出ませんでした。

これをきっかけに出家し、高層のもとで40年もの間厳しい修行を行いました。

師匠の遺言で「自分の死後67年間は国内で仏教を広めよ、その後は中国へ渡れ」と言われていました。

単純計算で、中国に渡る頃には100歳を超えてそうですが、達磨はこれを守ります。

 

まずは国内で6つに別れていた宗派を一つにまとめあげ、現国王に仏教の大切さを教えます。

こうして達磨の名前はインド国内で轟き渡ります。

そして、100歳を超えた頃中国へ渡ります。

 

300年前に、中国に仏教は伝わっていましたがいまだに実践しているものはほぼいませんでした。

インドの高層がきたという噂はすぐに広まり、皇帝に王宮へ招待されます。

ここで教えを伝えますが、理解されずに決別してしまいます。

 

達磨は更に厳しい修行に取り組みます。

自分を見つめ直すために壁に向かい9年間も瞑想を続けたのです。

あまりの苦しさに、表情は厳しく、手足は退化しやがて無くなってしまいます。

これが、日本に伝わっている「だるまさん」ですね。

 

たどり着いた先は、理屈で議論するよりも座禅を実践することで、直接心理に到達しよう。そういう教えですね。

 

小ネタ

日本に達磨伝説がいくつか残っています。

聖徳太子と対峙した説です。達磨は宮城県の松島にきて30年間聖徳太子が生まれるのを待ったそうです。

それが待つ島(松島)の元になったと言われます。

 

だるまの目に黒を入れる風習は、江戸の頃目の書き方が気に入らないと客に言われた商人が、白目のまま販売した結果、意外と好評でそれを続けているのが原型だそうですね。

 

選挙で使われるのは、仏画になぞらえて開眼(かいげん)を元にしています。